2026.09.07一乗谷朝倉氏遺跡を歩いて2/2STAFF BLOG

「450年前のまちに、まちづくりの答えを見る」

いつもありがとうございます。営業の駒澤です。

 前回の続き、一乗谷朝倉氏遺跡訪問記録です。

一乗谷朝倉氏遺跡を訪れて、建築以上に心を惹かれたものがあります。

それは、「まちそのもの」でした。

戦国時代の一乗谷には、武家屋敷だけでなく、町家や寺院、道路、井戸、水路などが整えられ、多くの人々が生活していました。

遺跡を歩いてみると興味深いのは、建物がバラバラに存在していたのではなく、道路に沿って敷地が並び、それぞれの建物と道、水、隣家との関係が考えられていることです。

つまり、そこにはすでに「都市」がありました。

現代の住宅地を計画するときにも、道路をつくり、区画をつくり、住宅を配置します。

けれど本来のまちづくりは、土地を区切って家を並べることだけではありません。

人が歩く。
隣人と出会う。
商いをする。
水を使う。
子どもが育つ。

そうした日々の営みが積み重なって、初めて「まち」になっていくのだと思います。

一乗谷には、それが何百年という時間を経た今も残っています。

特に印象的だったのは、山に囲まれた谷という地形です。

自然の地形を無理に消してまちをつくるのではなく、その場所の条件を読みながら、道を通し、水を引き、建物を配置していること。

現代でいうところの、土地のポテンシャルを読み取る「ランドスケープ」や「都市計画」に近い考え方が、すでにそこにあったように感じました。今のような便利な道具やソフトも無いそんな昔から、どうやって街を相対的に見ていたのか。

博物館で当時の一乗谷を復元した展示を見てから、もう一度遺跡を見ると、さらに面白くなります。

何もないように見えた場所に、屋根が立ち上がり、人が歩き、声が聞こえ、煙が上がる。

「ここに、本当に人の生活があったんだ。」

そう思った瞬間、遺跡が急に生きたまちとして見えてきました。

私たちも住宅や建築に携わり、これから先に残っていくまちをつくっています。

新しい建物をつくることはもちろん大切です。

でも、100年後振り返ったとき、そこにどんな暮らしがあり、どんな人と人とのつながりが生まれていたのか。そこまで考えることが、本当の意味での「まちづくり」なのかもしれません。

建築を志す息子と一緒に、何百年前のまちを歩きながら、これからの建築について考え、責任も感じました。

一乗谷という場所が今も私たちに残してくれている、建築とまちづくりのロマンを肌で感じた1日でした。