2024.01.25地震体験記 その2STAFF VOICE

みなさん、こんにちは。設計の北です。

 

今回は先日発生した能登半島地震の体験記を綴ろうかと思います

昨年の5月にも震度6弱の地震があり、その時も体験記を書きましたが、

まさかそれを上回る地震が起こるなんて、体験記のその2を書くなんて

思ってもみませんでした。

 

 

年末年始は毎年実家のある珠洲に帰っているので、今年もゆっくりと過ごそうと思っていました。

元日だったこともあり、お昼ご飯を食べた後に三崎町寺家にある須須神社と市役所隣にある

春日神社へ初詣に行ってました。須須神社は人がいっぱいだったのですぐ引き返して、

春日神社は一昨年の地震の際に壊れてしまった鳥居が再建していて「よかったね^^」

なんて家族と言いながらお参りしてきました。

 

初詣から帰ってきて仮眠でも取ろうかと思っていた時でした。

まず前震と言われている地震によるドン!という音がして

少しの時間揺れました。結構大きいなと言いながら状況確認をしていました。

本と2~3個食器が落ちていて、前のGWの地震と同じくらいかなと思い居間に戻ってきた時でした。

 

また大きな揺れが起こり、電気が消え、いつもより揺れている時間も長く、

10分くらい身動きが取れないような地震が発生しました。

近くにいた祖母としがみつきながら揺れが止まるのを待っていました。

地震発生直後でしたが電波は通じていて、ネットを見ると「大津波警報」

と出ていて、これは尋常じゃないと感じました。

 

実家は海から離れた場所にあるので津波は大丈夫でしたが、

すぐ裏が山だったのでまず外に出て、建物の倒壊と土砂崩れから避難しました。

倒壊は免れましたがタイルの外壁が一部剥がれました。

 

 

家の中は食器が散乱、家具も何個か倒れ、引き戸も枠から外れ倒れていました。

 

すぐ避難しようとあるだけの毛布と防寒具、枕やクッション、充電器や懐中電灯など

日が暮れ始めた薄暗い中かき集めて避難しました。

 

少ない電池の中で見たSNSでは、地震発生の直前までいた神社やその集落が津波に飲み込まれている動画があり、再建した鳥居もまた倒壊していて大変ショックを受けました。年末に行ったスーパーも波にのまれ、知っている街が壊れていく様は非常に見ていてつらいです。

 

避難所の小学校までは2キロ程あるのですが、そこまでの道が崩れていたり倒壊している家があると聞かされたので、家の坂を下ったところにある国道沿いにある広場で集落の人と集まって車中泊をしました。

近くに流れませんがトイレのある駐在所もあったので、近くに家がある人は石油ストーブを持ってきてその広場で協力しながら過ごしました。

 

 

 

私たちの集落は倒壊した家も少なく、みんなでガスや発電機、畑をしている人も多かったので自分たちで採った野菜や正月にと買いだめていた食材を持ち寄り、テントを張り、キャンプみたいな感じで過ごしました。

私たちの家にはウォーターサーバーがあったので水が確保できてました。

 

その間も何度も揺れがあり落ち着きはしませんでした。

3日目には今までつながっていた携帯の電波も通じなくなり、情報がシャットアウトされました。

しかし私たちがいた広場は外浦へつながる国道沿いにあったため、自衛隊やボランティアの方々が通過することが多く、なんとかいろいろな人の助けも受けることができました。

 

すぐに金沢に行けたらよかったのですが、ガソリンは半分以下で入れに街まで出なきゃならない、ガソリンスタンドが開いていても入れてもらえるかわからない、そもそも渋滞や道路状況もひどいらしく半日以上かかると言われていたので、1週間ちかく金沢に帰れませんでした。

 

今まででいちばん長く感じた1週間でした。

 

今まだ妹や母が仕事の関係で実家に残り、厳しい状況の中暮らしています。電気はやっと今日家まで通電したらしいですが、水道はまだまだです。地震で実家の浄化槽が浮き上がってきて壊れているそうなので、その修復も必要です。

 

この地震大国である日本で自分がいつ災害に巻き込まれるのかはわかりませんが他人事ではありません。

東日本大震災や熊本地震の時は遠く離れた地だったのでなかなか実感することは少なかったのですが、今回の地震で「まさか私たちが被災者になるなんて…」と何度も痛感しました。

 

 

能登のみなさんに、一日でも早く穏やかな生活が戻りますように祈っています。

 

 

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